徒然ブス

ブスが何かを思う

『Born in the EXILE』を見ました

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"アイドル(虚像)"と"ドキュメンタリー"は同居しない(しなくていい)な、と思う出来事が1月18日にありました。
 
SMAPの謝罪、個人的にはいまだに尾を引いています。あれほどショッキングなドキュメンタリーは見たことがなかったです。
 
あれこそアイドルのドキュメンタリーであった。
 
アイドルなんて、スターなんて、虚像でしかないのだ。頭ではわかっていたけれど、実際の裏側は靄がかかっていて見えないから、こちらも気持ちよく騙されることができていた。騙されていることが楽しいし、騙しきってくれると信じているからお金を払うのに。
 
この話については、考えがまとまらないので置いておくとして、「ドキュメンタリー」ってなんだろうと考える。 

 

ザ・ノンフィクション』(フジテレビ)なんかをたまに観ますけど、ドキュメンタリーというのは痛いからこそだと思うし、ドキュメンタリー好きな人もそこにカタルシスを求めているんじゃないかと思う。痛くて泥臭い現実の中にかすかな希望を見出す、ドブの中から黄金を拾いあげる、みたいなことがドキュメンタリーの醍醐味じゃないかと。
 
それでいうと、やっぱりアイドルにはドキュメンタリーは向かないのだと思う。アイドルそのものが黄金である必要があるし、そこにドブは必要ない。むしろ背後に流れるドブ川を隠さないと商売がなりたたない。
 
1月18日のあれを見たらやっぱり現実(ドキュメンタリー)と虚像(アイドル)は別々の場所にあってしかるべき、くらいには思ったわけで。
 
「ドキュメンタリーは痛いものである」ということをきっと感覚的にわかっていたんであろう秋元康氏は、AKBのドキュメンタリー映画では割とシビアなシーンも盛り込んでるとかで(すみません、観てはないんですが)。舞台裏で過呼吸になるアイドルの姿をそのまま映したりしてね。
 
だからこそAKBの映画はそれらしく批評の遡上に乗ったりもしていて、さぞ上手なんだろうなと思います。
 
良し悪しはともかく、「ドキュメンタリー」と銘打ったのならば、しっかりと「痛み」を描くべきだという作家(秋元さんなのかなんなのかは知らないけど)としてのセンスの良さがあるんでしょうか。
 
その痛みが多少フィクションめいていたとしても、やっぱり「ドキュメンタリー」を選んで観る人は「喜び」よりも「悲しみ」に癒やされる傾向があるだろうから、モノ作りとしてその感覚は間違っていないんだろうな。
 
という話を考えはじめると、「Born in the EXILE」は全然ドキュメンタリーではなかったです。健康な男の子たちの健康な1年の記録をぼや~っと見ただけ。痛さゼロ。いいね、今一番本物のアイドルだね。
 
彼らがブレイクの年を迎えた2015年と、その年に初めて開催した自身のドーム公演の舞台裏を追った映像に途中途中ボーカル2人がこの映画に向けて作業していた作詞の映像が挟まれます。

■ドキュメンタリーっぽかった部分

とにかく2015年を切り取っただけの内容なので、三代目をこれから好きになろうという人には向いてない映像でした。「Born in the~」と謳うわりには、出自についてはあまり語られず(これまで語りすぎてるからいいんですが)、急に「2015年やっと初ドームだよ!やったね!」というところから入るので、今現時点でファンの人しかピンとこないであろうものを映画館で上映するっていうLDHのイケイケドンドンな感じ、いいね。100万枚もCD売れば、映画の1本2本流すのも簡単なのかな。
 
例えば、「初のドーム」にもっと主題を置いて、準備過程を丁寧に追えば「舞台を作るときにかかる手間暇」というドキュメンタリーが発生したかもしれないけれど、その辺も中途半端でしたね。いつものライブDVDについてくる舞台裏特典映像の域を出ないので、新しい発見もなかったです。
 
彼らは自称が「アーティスト」だから、だったらもっと楽曲にフィーチャーして、制作の現場を追えば、それは「100万枚を売るアーティストの音楽ドキュメンタリー」に近づくこともできたかもしれないけど、それもなく。
 
曲はいつのまにかできていて、コンサートの舞台もいつのまにか組まれているんですよね。やっぱいこれ、ドキュメンタリーじゃないぞ。
 
唯一ドキュメンタリーっぽかった部分は、メンバー個々人がそれぞれ抱える多少の諸問題。家族のことであったり、過去の自分であったり、今の仕事についてであったり、今後の展望についてであったり。それは30歳前後の人間であれば誰でも抱えるであろう年頃の男の子たちの普通の問題意識で、「ああ、三代目も普通の男の子なんだな」って感じで、ここは少しドキュメンタリーっぽかったです。本当に少しだけ。

■三代目の"ドキュメンタリー"はどこにあるのか

LDHはそもそも「ドキュメンタリー」に向いていない。
 
「Love、Dream、Happiness=愛・夢・幸福」なんて綺麗事を支えるのが「ドキュメンタリー=現実の部分」であり、それらは表裏一体。彼らが表立って声高に愛と夢と幸福を語るうちは、ドキュメンタリーはその裏に隠れてしまっても仕方ない。
 
金スマ。』(TBS)やその他でEXILEはさんざんドキュメンタリーを見せてきたではないか、と思う人もいるかもしれないけれど、彼らは「今現在抱えている未解決の問題、進行形の課題」については決して語っていないはずです。
 
SHUNの脱退も、ATSUSHIの喉の手術も、無事解決してから体裁を整えて「ドキュメンタリー風」に仕立てているだけ。「これだけの問題があったけれど今回もLove、Dream、Happinessで乗り越えました!めでたしめでたし」という形しかとりません。
 
つまり、裏を返せば映画で語られなかったことこそが「未解決の問題、進行形の課題」であるわけで、三代目の本当のドキュメンタリーの在処なのだと思います。
 
では、その在処はどこにあるのか。
 
2014~2015年だけを追っている新規のファンにだって分かったはずです。映画で語られなかった1つの問題。
 
今市くんの声のこと。
 
あきらかに質を落とした今市くんの声については、芸能ニュースサイトで批判をされたこともあり、もはや公然の問題としてファンが危惧しているわけです。
 
映画の中では、ドーム公演の最終日に涙ながらに「声の調子が悪かったけれど、ファンのおかげで声が出た」というようなことが語られただけで、それ以外は決して触れることはなかった。
 
この問題に触れることができないのは、進行形の問題・課題だからでまだ解決していないからなんだろうなと推測します。(まあ邪推かもしれませんが)
 
突き抜けるような声を持っていた今市くんの声の行方こそ、三代目が今抱える、そして今はまだ語ることのできないドキュメンタリーの部分なのではないかと思います。ファンが知りたかったのもここじゃないのかなと。

LDHの男どもは格好つけてないと死ぬ

あと、本当だったらツアー中にドラマと映画1本を撮り切ったがんちゃんのハードワークの部分も、もっとフォーカスしていいはずだったのに、さらっと触れる程度だったのも気になりました。「自分なんなんだろうって、思うことありますよ」という名台詞を残しておきながら、その台詞の真意には触れなかった。
 
本当に息切れして参ってる姿は見せたくないんでしょうね。そもそも格好つけていたい人たちなんだから、はなからドキュメンタリーは向いてないんだって。
 
でも、私個人としてはそういうLDHの姿勢が好きです。その考え方は誰よりもどこよりもアイドルだと思う。
 
頭を下げるアイドルも、過呼吸に陥るアイドルも、見たくないんですこっちとら。
 
アイドルはビタミン剤みたいなもので、生きる活力で、非日常だから。超人でいてほしい。
 
そういう意味では三代目は良い筋肉と良い顔を備え、軽やかにドーム公演を終えた超人でした。格好良かった。ドキュメンタリーじゃなくて良かった。単純に格好良くて、可愛らしかった。
 
この「ドキュメンタリー性の薄さ」については、今後もLDHについてまわると思う。あれだけ着飾って、肌を焼いて、髪をかためて、完全武装で過ごしている彼らはきっと格好つけていないと死ぬんじゃないでしょうか。舞台裏でゲロ吐いてる姿なんかダサいもんね。LDHが見せるわけないよ。
 
格好つけることがダサくなって、なんとなく白けて、鬱々とした時代に生きる私には、絶滅危惧種のような「格好つけてないの死ぬ人種」を尊く思ったりもします。いいよ、いいよ、その調子。LDHにはいつまでも格好つけていてほしい。ドキュメンタリーなんかいらない。

■海老のスープ 

「コンビニの海老のスープが美味しい」と話す登坂が可愛かった。監督も「コンビニとか行くんだ~」とかわざとらしく合いの手入れたりしてね(いまどき「芸能人はコンビニ行かない」なんて価値観ないだろうと思うよ監督)
 
このくだりはいわゆる「庶民派アピール」で、ちょっと白々しいなと思ったんだけど、私が登坂くんの担任の先生なら愛情を持って放課後の職員室に呼びつけてまず問いたい。
 
「登坂はどうしてコンビニのご飯を美味しいと感じたんだろうか?
 
理由がね、あるんだよ、何にでも。その理由にもしかしたらドキュメンタリーが宿っているかもしれない。
 
じゃあ例えば、美容師の見習いをしていたあの頃、休憩時間に狭いバックヤードでかきこむように食べたコンビニのご飯も美味しかったんだろうか?
 
もしかしたら、その美味しさはあの頃には気づかなかった美味しさなんじゃないのか。高い酒の味を、高い肉の味を覚えた舌だからこそ、コンビニの味に立ち返ることができたんじゃないだろうか。
 
日常的にコンビニのご飯を食べてる人間は、コンビニのご飯を美味しいとは感じれなくなってくるものだよ(よっぽどこだわりを持ってコンビニ飯ジャンキーになってる人もたまにいるけれど)
 
たまに食べるから、おいしく感じれるんじゃないのかな。
 
登坂のこの5年はコンビニのご飯に立ち返るまでの5年じゃないのか。宿題として、海老のスープを美味しいと感じるまでの5年を原稿用紙10枚にまとめてきなさい。
 

 
ところでこれだよね。セブンイレブンの「オマール海老のスープ」だよね。これすっごい美味しいよね。私も去年の冬ずっと食べてた。
 
でもやっぱりこればかり食べてたら飽きるよ。コンビニのご飯は飽きる。飽きられるとわかってるからコンビニも新しいメニューを出し続けるわけで。もうこの海老のスープは店頭にありません。

■推し・登坂について

「夢の先に別の夢があるんだ」と語った登坂くんの「別の夢」が何なのかわからず、「推し~~~~~~何考えているんだよ推し~~~~~~~~」となりました。
 
歌やライブが楽しくてしょうがないことはものすごく伝わってくる。その中には彼なりの葛藤や計算はあるんでしょう。あるんだとは思う。
 
けれど「音楽」を手に入れた時点で登坂くんのそもそもの夢は9割くらい叶っていやしませんか。
 
正直、作詞の作業にも才覚は見いだせないし、もしかしたら作曲の才能が膨らむかもしれないけど、もしそうなったときはこのブログ記事ごと消しますわ。
 
ただ、もう「音楽」の中に彼の「別の夢」がどれだけ残っているのか、よく見えてこない。
 
片や相棒は声を失いかけて、たぶんそのことで逆に音楽の中にまた別の夢(課題)が生まれたように思う。この試練・困難を乗り越えるという夢(課題)が今市くんにはできた。そうでなくても「グラミー賞獲りたい」とかむちゃくちゃなことを言ったりもしているし、今市くんの夢が音楽の中にしかないことはなんとなく分かるんです
 
ただ、王子様に見初められハッピーエンドを迎えたシンデレラは、その広すぎる城の中で次はどんな夢を見るのか私には分からなかったです。今も分かりません。
 
登坂広臣の「別の夢」や「これから叶えなければいけない夢」というのは別の場所(もしかしたら城の外)にあるんじゃないかと、そんなことをファンの一人は思っています。
 
もっと高い場所に、もっと苦しい場所に、夢(課題)はあるんじゃないかと。
 
HIROさん、今後の登坂についてどうお考えですか。過保護なファンはとっても心配かつ楽しみでハラハラわくわくしておりますよ。

■まだ渦中の男たち 

どのアイドルグループ・アーティストも5年目くらいまではがむしゃらに必死に駆け抜けていく時期なんじゃないでしょうか。「売れなきゃヤベーぞ」という確固たる共通意識がメンバーの結束をかためるでしょうし、運営側も売れるための施策を考え奔走する時期。「売れる」に向かってひた走るがむしゃらな季節が5年目くらいなんじゃないかなと。
 
だけど本当の問題はここから。「売れた」その次をどうするかで、その方向性を見定めるのが難しいんじゃないんですかね。一度巻き起こったブーム=熱をさまさないためにはどうしたらいいのか。さらには、「惰性」や「慣れ」そして「飽き」というエンタメにとっての天敵とも戦わなければいけなくなる。
 
めでたくもブレイクした彼らの今後にこそ、語られるべき物語が積み重なっていくんじゃないかと思うんです。今市くんの喉に不調が出始めたのも、時期的なものなのかもしれない。これまでの5年より、これからの5年の方がきつくなっていくことは目に見えてる。
 
ブレイクすることは幸せなことだけど、それに伴う犠牲も多いはず。
 
また、EXILEのときとは少し違うブレイクの仕方をした彼らには、LDH内にモデルケースとなるグループもいないので、すべてが手探りでしょう。わくわくしちゃいますね。
 
まだまだ「渦中の男たち」である彼らは、そもそも今はまだ語るべき痛みなど抱えていないのではないかと思います。まだ熱狂の最中だもの、失うもの得るものどっちもあるだろうけどそれらを振り返って整理できるほどの時間はないんじゃないかなと、映画を見ながら思いました。
 
なので、これから5年後の10年目に今一度、三代目のドキュメンタリー映画を作ってほしいです。(10年もったらの話ですが)
 
そのときもきっと格好つけてないと死ぬ人種たちは、「ドキュメンタリー=現実的問題」の根幹に触れることはなくスタイリッシュな映像でお茶を濁すでしょうが、少なくとも"たかが5年目"の彼らからは滲み出ることのなかった「ドキュメンタリー=痛み」の端っこくらいは映し出せるのではないかと期待しています。